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Showing posts from 2017

今年のクリスマスコラム Christmas column this year.

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今年のクリスマスコラムは人工知能の自然な姿について考えてみました。 http://www.filtom.com/218263/ I tried to think about the real image of an artificial intelligence in nature on this year's Christmas story. http://www.filtom.com/218268/

スキンケアで見えてきた家族の未来

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未来を妄想してみました。 こうなれば、大きな戦争、なくなりそう。 http://www.filtom.com/217342/

国政選挙まであと1週間 Just one week until the National election of Japan.

(English below) 日本人にとってもっとも大事な日であることはまちがいないですが、やっぱり静かな日本人。もちろん東京や大阪といった大都市の主要な駅前の演説会はそれなりの盛り上がりがある。でも日常生活、日常会話で政治の話がでることは世界各国に比べて明らかに少ない。 不思議に感じる海外の方、多いと思います。実際、僕も不思議です。なぜここまでシャイなのか。シャイが原因でない、という見方もあると思いますが、海外から見れば、おそらく、シャイであることと一括りになると思う。いわゆる、無党派層、サイレントマジョリティ。言うまでもなく僕もその一人。 日本人は今も昔も、シャイ。良い面でもあり、悪い面でもある。あえて良く言えば、自分の目で判断する。誹謗中傷に発展するような無用な摩擦を避ける。しかし悪く言えば、低俗な情報を避けるあまり、良質な情報量も下がる。自分の目で判断しようにも情報が少なすぎて、おそらく判断を誤るケースの方が多い。いまの多くの日本人が抱える不安感もそこから来ている。情報が少なければ、低俗か良質か判断する目も養われない。 残念なことに、世界各国と同様、おそらくほんの一部の人々による、誹謗中傷やフェイクニュース、低俗な誘導が今も昔も多い。ネットの普及の効果といえば、それを無言で非難し、無視する、多くの冷静な知性をより近くに感じることができるようになったことだ。静かなる日本式のアラブの春、と言ってもいいかもしれない。実際、ネット上の低俗な情報に安易に乗らないケースが増えているように感じる。後世からは、静かな日本の春、と形容されるのかもしれない。 Just one week until the National election of Japan. It's of course the most important event for Japanese, but as you might feel, still calm as usual. In big cities like Tokyo or Osaka, there are many people visiting at a public speech by famous politicians in main railway stations. Howeve

家族を意識することで手に入る生命力

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身近な微生物、酵母と皮膚常在菌(プロピオン酸菌)は、まるでよく見かける頼りになる友人や家族のようで、想像力を掻き立てられる。 酵母は明るくて活発でいつもふざけてるのに、時々真を突いた言葉を投げかけてくる。 プロピオン酸菌は静かに寄り添いつつ、こちらが疲れ、何かを見失いそうになると、やはり静かに共有してくれる。 そんな雰囲気、出てるかな?笑 http://www.filtom.com/211291/

与那国の海と織物の不思議なお話会

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美について思う存分持論を展開をして良いというたいへん貴重なチャンスをいただき、29日、与那国に行ってまいりました。 【内容】 アーティスト Chitose Ohchiさんから、昨年いただいた不思議な依頼。 「与那国の海の美を取り出してほしい」 それは、 与那国の美しい織物を復活させるためにあらゆる手段を模索するOhchi氏からFILTOMへ投げられた壮大な夏休みの宿題でした。 それから一年、通常の分離業務と同じ手順で、まず海の美の定義を求め、次に取り出し方を検討し、そして取り出すための道具、世界初イオン万華鏡を開発しました。 そのイオン万華鏡を用いて海の美を抽出したレポートです。 与那国の不思議な夜をぜひ動画でお楽しみください。

たんぱく質のアパートメントに住む家族

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「美しさは、私たちの中の”流れ”が生み出す。」( C6コラムSKIN より) 流れとは、栄養の流れ。 でも、栄養だけ届けていれば、健康な生活を送れるのでしょうか。 流れているのは栄養だけではない。 肌の上の家族を見つめなおす3回シリーズ。 第一回は「たんぱく質のアパートメントに住む家族」です。 http://www.filtom.com/63108/

なぜ雑巾は濡らすのか

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ふきんや雑巾はなぜ濡らしてから使わなければならないのか。 二つの理由がある。 1.汚れを吸い取るため 水で濡らしたふきんや雑巾は、汚れを水で絡めとることができる。 2.汚れをさっと流すため 最初に水で濡らしたふきんや雑巾の繊維の表面は、薄い水の層でおおわれている。そのため、たとえ汚れがついても、水を含ませて絞ると、さっと流すことができる。 乾いたまま汚れをふき取った場合、それを濡らして絞っても、汚れがあまり取れない。それは水の層がなかったからだ。 実はこの原理、高度な膜分離にもそのまま当てはまる。 FILTOMのPD膜は、超親水性の「完全再生セルロース」でできている。 ふきんや雑巾、ティッシュと同じセルロース。 この世でもっとも親水性の高い材料がセルロース。 PD膜はまず純水で濡らしてから使う。どうせ処理液で濡れるので、わざわざ純水で濡らさなくてもよさそうですが、膜の表面に薄い純水の層を作ることで、処理液中の栄養成分が膜に吸着することを防ぐ。 しかもこの水の層、とても頑丈。 長時間使用しても水の層が壊れることはなく、処理液の栄養成分をそのままの状態、そのままの濃度で取り出すことができる。 最強の生物である植物が体の材料にセルロースを採用しているのは、こうした理由から。土から吸い上げた養分を、そのまま状態を保ちながら余すところなく体の隅々に運ぶため。 そして私たちも、セルロースほどではないけれど「リン脂質二重膜」という親水性の高い細胞膜を採用している。生体反応はすべて水溶液中で行われるため、親水性は水溶性の栄養成分を利用する上で欠かせない性質である。 FILTOMもこうした理由から、多くの膜素材の中で「完全再生セルロース」を採用している。

エネルギーの質、私たちの質

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【エネルギーの質】 理系文系問わず、学生から時々聞かれる質問に、「エネルギーは保存されるのに、なぜエネルギー問題の解決は難しいのでしょうか。」というのがある。エネルギー問題の難しさは経験的には実感できるものの、たしかにエネルギー保存則だけに照らすと理解できない。 しかしエネルギーは質を変えてしまう。しかもその時、一部がかならず質の低い熱エネルギーに変わってしまう。質の低いエネルギーになるほど、質の高いエネルギーは得にくくなり、永久機関は存在できない。これを熱力学第二法則と呼ぶ。 エネルギーを質の順で並べると、最も質の高いものが電気(電磁)エネルギー、次に力学的エネルギー、光子エネルギー、化学的エネルギー、そしてもっとも質の低いものが熱エネルギー。熱力学第二法則は別名「エントロピー増大の法則」とも呼ばれ、エネルギーの質の低下をエントロピー汚染と呼ぶ。 この話は、理系文系問わず、よく盛り上がる。なぜか。 それはこの話に、理系文系を問わないあらゆるセンスが詰まっているからだと思う。 【私たちの質】 そもそも理系離れとは、この話に込められている意味合いを感じる「文学的センス」を失っているからで、理系のセンスを失っているからではないような気がする。 たとえば、この話を突き詰めると、結末が不安になる。なぜならエネルギーの一部が延々と熱エネルギーに変換されつづけ、エントロピー汚染が続くのがこの宇宙の摂理だとすれば、いずれ迎えるのは死ではないか。実際これを「宇宙の熱的死」と呼ぶ。 しかし一部の物理学者は、膨張論で対抗する。実際にハッブル望遠鏡が捉えている通り、宇宙は膨張し続け、あたらしい天体が生まれ続けている。宇宙全体のエントロピーが増大しても、体積が膨張すれば、エントロピーは低下し、永遠に熱的死を迎えることはない。ここに、文学的な感動を覚える人は多い。 なぜならこの話はまるで我々自身だからだ。私たち一個の個体を見ると、生まれた時に持っていた多様な感覚、センス、感受性、可能性は、年を経るごとに減り続ける。舌の味蕾は実際に減り続けるし、感受性も鈍感になり、インスピレーションは生まれにくくなる。努力しなければ、体の多様性は失われ、エントロピーは増大し続け、その先に待つものは死である。 ところが、宇宙と同じく、やはり待っているのは死ではない。私た

橋本真里氏とアーユルヴェーダについて対談させていただきました。

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縄文時代のほうが知能が高かった、とよく聞きますが、分業が進んだ今、それは仕方がないことだと思う。もし湿布を自分で作ろうとすれば、奥さんから「ドラッグストア行けば?」と諭されるか、あるいは実家に帰る準備をされるかもしれない。くらいに分業が当然になっている。 しかしもし縄文時代にタイムスリップして、どこかのやさしい村に保護され、その日から生活を共にすれば、まず翌日から襲ってくるのは筋肉痛に違いない。そこで登場する湿布は、自分よりも屈強に働いていた女性の手作りの湿布。やさしいまなざしで手作りの湿布を貼ってもらい、翌日凝りがほぐれていたら、朝日の中で感じるのは、感謝と、ほのかな敗北感だろう。 そうした、知能の高い科学的な思考をもった先人たちが工夫を重ねてきたのが民間療法の本当の姿だから、伝承するにも同じ科学的な視点と能力が必要だし、そうでなければ誤訳も起きやすい。誤訳の結果が、おどろおどろしいまじないのイメージだ。 科学に立脚した「アーユルヴェーダ」におまじないの香りはしない。C6トーク「橋本真里氏」 http://www.filtom.com/1138/