3人称の愛 Love of the third person
夜、お腹ぺこぺこで仕事から帰るなり、扇風機の前に座り、カレーを食べ始めると、中学生の息子が「英語の人称がよく分からない」と聞いてきた。 なので、「1人称は自分。2人称は語り掛ける相手。3人称がそれ以外。」と答えたが、そこで便意を催した。 息子はまだ納得がいかない様子で、「じゃあ、2人称のYouの横にいる人は?」と聞く。 しかしどうしてもトイレに行く前にカレーを食べてしまいたかったので、二口ほど口に運び、食べながら、「コミュニケーションの相手に入っているかどうかによるよね」と答えた。 説明が中途半場だと思いつつも、便意が強くなってくるので、さらに3口ほど口に運んだところで、ものすごいことに気が付いた。 「いま、自分の中にも2人称と3人称がいる!」 カレーをおいしく食べたい私と、空腹を満たしたい脳(2人称)と、トイレに行かせたい腸(3人称)。 私と脳は、「いまは食べるときだ。トイレはそのあと。トイレに行ったら最後。カレーがまずくなる。」とお互い納得済み。 しかし腸は横やりを入れてくる。 「とにかく、トイレに行け!」 僕と脳は、お互い顔を見合わせながら、確認しあう。 「“彼(腸)”の言い分もわかるけれど、やっぱりカレーは捨てがたい。」 腸はそばにいるにはいるが、コミュニケーションが通じない。だから会話をしている2人称の脳とは、目の前の腸のことを「彼(3人称)」と呼ぶ。 それを駆け足で息子に説明すると「なるほど、よく分かった」と言ってくれた。さすが我が息子だ。無事カレーも食べ終えたので、トイレに駆け込んだ。 便座に座って一息ついたところで、私と脳に相手にされていないのにそれでも律儀にトイレに向かわせようとした彼(腸)が、ふと愛おしくなった。 When I was back to home and started to eat curry, my son asked me about person in English. I explained simply, but suddenly I had an urgency for toilet. Then I also suddenly could find 2 more persons in my body. The second person is my bra