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愛と化学とサンタクロース

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毎年、サンタクロースは本当にいるのか?、ということに頭を悩ませるが、今年は次のように考えてみた。 現代宇宙物理学から言えば、宇宙は素粒子から成り立ち、素粒子とは他でもない、エネルギーそのもの、ということになっている。 ということは、宇宙を生み出したのはエネルギー、私を生み出し、ここまで巨大化(172cm)させたのもエネルギー、そしてかつてサンタクロースを生み出したのもエネルギー。 燃え上がる火も、愛も、エネルギー。 すべて化学反応が生み出す、熱であり、光であり、行動力である。 つまり、12月24日に向けて私を駆り立てるエネルギーこそが、サンタクロースの存在だ。 「じゃあ、サンタクロースには会えない?」 「そりゃーいつかは会えるだろう。だって俺たちもかつてはエネルギーだったのだから。サンタクロースにいつか会いたけりゃ、エネルギーを生み出し続ければいい。」

助さん格さん、もういいでしょう。

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お風呂にはいると、8歳の長女が黒板に大書していた。   「すけさんかくさん、もういいでしょう。」   妻の実家で再放送の水戸黄門を何度もみたらしい。 そしてこの言葉が強く心に残ったようだ。 なぜかは多分彼女にも私にもよくわからない。 しかし、他の多くの日本人の場合と同じように、この言葉は彼女の心を直撃した。   「もういいでしょう!」   そして彼女(いや、彼女だけではなく、私を含め日本全体)は学ぶのだ。   【物事にはいい頃合いというものがある】   つまり、どんなことでも、「もういいでしょう!」という境目がある、ということを学ぶのだ。   たとえば口げんかの時、自分の論理が上回り、相手を言い負かせそうになる。しかし心の中の小さなご隠居が叫ぶ。 「もういいでしょう!」   子供を叱るとき、自分の言葉に酔う。話が飛躍する。だまりこくる子供に言葉を浴びせ続ける。そして心の中で小さなご隠居が叫ぶ。 「もういいでしょう!」   同僚の勝手が許せず、責め続ける。避ける。無視する。そして小さなご隠居があの顔で叫ぶ。 「もういいでしょう!」   しかし自分という人間は、助さん格さんのように「控えい!控えおろーう!!」とはなってくれない。 自分を責めながら、制御不能に陥る。。   だからみな、気持ちの良いけじめを示してくれるご隠居と助さん格さんに惹かれるのだ。   いつの時代も、日本の老若男女の心に響き続ける。「 すけさんかくさん、もういいでしょう! 」                

おこられてうれしいおばあさん

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スーパーの試食コーナーでのこと。   長女が試食に手を伸ばそうとした。   私「頂いてもよろしいですか。」   売り子のおばあさん 「アレルギーとか大丈夫?」   私 「はい。大丈夫です。」   長女がおいしそうに食べはじめる。   おばあさん 「あ、ここで食べてね。落とすと後で怒られるのよ、掃除の人から(にこにこ)」   私 「(長女に)ここで食べり。」   おばあさん 「ありがとう、おじょうちゃん。落とすとね、怒られるのよ、私が(にこにこ)」   私 「なるほど」   おばあさん 「そうなのよ。怒られるのよー、おほほ(にこにこ)」   私 「ええ、ええ(つられてにこにこ)」   おばあさん 「さっきも怒られてねー、掃除の人から、うふふ(にこにこ)」        

海馬と側坐核とちびのミイ 

日常生活で得た情報は短期記憶として「海馬」にいったん貯蔵される。 夜みる夢は、海馬の内部回路による情報処理(再構築)と考えられる。 その後情報は「大脳皮質」へ送られ、長期記憶として貯蔵される。 ( 海馬 ) やる気を起こすためには側坐核からの出力(脳内物質の分泌)が必要である。出力するための最も簡単な方法は側坐核へ入力(実際に行動)することである。まず行動することでやる気が出るのはこの仕組みによる。 ( 側坐核 ) そりゃあそうでしょ。何だって、多かれ少なかれ、ステキなことには、違いないわよ!だけど、いっとうステキなことは、みんなで、大騒動して、一切合切ひっしで運んでひっこして、いざ着いてみたら、あの島が、正真正銘のハエの糞だと、判明することかもよ… ( ちびのミイ 「ムーミンパパ海へいく」より)

わたし、幸せすぎてこわいの

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いろんな仕事に追われ、いろんな出来事に巻き込まれていると、どうも、いいことが起きると、かならず悪いことが起きるような気がする。 で、落ち込んでいると、次はいいことが舞い込む。 気のせいかな、と思っていると、悪いことが起き、さらに悪いことが重なって、抜け毛が増えたりして、妻からも、大丈夫?元気すぎるのもいやだけど、最近元気ないね、とか言われていると、ふと、ものすごくいい知らせが舞い込む。 まるで良いことと悪いことが交互に繰り返されているようで、たとえ良いことが起きたとしても、次に悪いことがくるのではないかと「こわく」なってくるのだ。 これでは精神衛生上よくないので、分析してみた。 結論:「ある一定期間の内、もっとも悪いことが悪いことになり、もっとも良いことが良いことになる。」 つまり、一定期間の中で最も悪いことが落ち込む要因となり、その他のことは大したことではないと認識される。逆に普段なら喜ぶべきことが、もっと良いことが起こってしまうと、喜びの対象でなくなってしまう。その結果、あたかも良い出来事と最悪の事件が、一定期間ごとに繰り返されるように感じてしまう(下図)。 ということは、その期間を広げれば、最悪な事件は少なくなる、ことが分かる。 なるほどね、だから昨日の失敗も実は大したことなかったんだ。 危うくだまされて落ち込むところだった。