2018/01/18

技能と職務と使命 Technics, tasks and a mission

都市の衰退の原因は経済の非多様化にある、という記事。世界の代表例3都市の一つがなんと北九州になってしまっている。
English below.


「(ニューオーリンズ、リヴァプールと同じく)北九州も鉄鋼の衰退とともに人口減少を迎え(中略)昨年スペースワールドというテーマパークが閉園となった。」
経済産業の多様化の失敗が、都市の衰退を招いた、という視点はたしかに全くその通りだと思う。しかし他の産業に手を出せばよかったのか、というと、事はそう単純ではないと思う。
ニューオーリンズも、リヴァプールも、北九州も、衰退を招いたのはその産業に固執したからではない。
「職務」に固執したからだ。
製鉄産業は、「精製技術」という「技能」に時代が与えた職務にすぎなかった。
その職務は鉄しか生み出さない。しかし「技能」には、時代に沿ったあらゆる職務が待っている。職務だけでなく、技能を磨くことを忘れなければ、時代はかならず次の職務を与え、都市が衰退することはない。
FILTOMもそうありたい。膜分離技術という技能に、今たまたまスキンケアという職務が与えられている。同時に現在の職務は、来る未来のために技能を磨く。技能には、次の使命が待っている。それが何かは容易に分からない。それを誰よりも早く見つけ、技能を磨いたものだけが生き残る。だから面白い。

I found an interesting article about three "ghost towns" without diversified economy includes KITAKYUSHU.
"(Same as New Orleans and Liverpool) As steel production moved to developing countries,, So, the now familiar story happened there, too: widespread unemployment, leading to depopulation and urban decline. Last month, Kitakyushu's amusement park, Space World, closed."


I agree with a point of view on that one of the main reasons of the decline is fail of diversifying economy. But solution might be not simple as like just diversifying economy or making other industries.
I feel that the main reason for the urban decline in all of 3 cities was because people had clinged to only their "task".
Regarding Kitakyushu, their task can only make steel. But if they didn't forget to improve their "technics" of refinement technologies, they will be able to find their next task to live.
FILTOM wants to be so. We are now living with a current task of skin care by our membrane separation technics. At the same time, the task is improving our technics for coming future. We can not see a next task easily. Only the one who finds the next task first will win. That's why life is exciting.





2018/01/03

除夜の鐘と官能基

久しぶりにゆったりできたので、除夜の鐘を聞きつつまとめた、官能のこと。

官能基という素晴らしい訳語がある。化学物質の特徴的な部位のことで、たとえばバニラの香りのバニリンは3つの官能基を持つ。上から、カルボニル基、メトキシ基、ヒドロキシル基で、それぞれ特徴的な機能性がある。


官能基は英語ではFunctional group。直訳で機能基。しかし官能基と名付けた化学者の文学的センスはすばらしい。官能基は概ね「出ている」。機能性を持つのだから、出ている部位になるのは当然なんだけれど、出ていることに隠された意味があるのではないかと長年感じ続けてきた。

除夜の鐘を聞きつつ、自分の官能基を見る。ち〇〇も出ている。おっぱいも出ている。当然だろう、という声も聞こえてきそうだけれど、ならば問いたい。なぜ隠すのか。せっかく出ているものを、なぜまた隠すのか。おっぱいに至っては、中途半場に隠す。見えるか、見えないか、くらいに中途半端に隠す。バニリンはどの官能基も隠さない。いつでも反応できるように準備万端だ。しかし僕は官能基を隠している。

この、隠す、とか、しまう、という行為にも長年興味を感じずにいられなかった。私達はなぜ、片付けるのか。

基礎に据えるべき仮説として辿り着いたのは、「使うべき時に使うため」ということ。官能基は、使うべき時、というものが前提としてあるのではないか。

有機化学でマスキング剤(阻害剤)というものがあって、使うべきでない官能基に結合させて、働かないようにすることができる。マスキング剤は体内にもある。隠すのも、片付けるのも、使うべき時にないものを視界から隠し、あるいは守り、使うべき時に備えているのではないか。そうしないことが、「恥ずかしい」という心理につながっているのではないか。

知恵も「出す」と表現することに言葉の妙味を覚える。知恵も立派な機能だ。だから、出すべきでないときには、隠しておかなければならない。概して私たちの会話というものは、問題の解決ではなく、会話を楽しむこと自体が目的である。男性はここを勘違いしていると、多くの女性から指摘を受ける。

除夜の鐘は108の煩悩を消し去るために衝く、のではない、とどこかのお坊様も考えているにちがいないと勝手に想像する。煩悩こそが生きるための機能性。煩悩を消し去るなんてとんでもない。心得るべきは、出すべき時に出せ、ということ。出すべき時を誤り、機能性を発揮できなければ、その時はじめて、官能は煩悩に帰す。



2017/05/06

エネルギーの質、私たちの質

理系文系問わず、学生から時々聞かれる質問に、「エネルギーは保存されるのに、なぜエネルギー問題の解決は難しいのでしょうか。」というのがある。エネルギー問題の難しさは経験的には実感できるものの、たしかにエネルギー保存則だけに照らすと理解できない。

しかしエネルギーは質を変えてしまう。しかもその時、一部がかならず質の低い熱エネルギーに変わってしまう。質の低いエネルギーになるほど、質の高いエネルギーは得にくくなり、永久機関は存在できない。これを熱力学第二法則と呼ぶ。

エネルギーを質の順で並べると、最も質の高いものが電気(電磁)エネルギー、次に力学的エネルギー、光子エネルギー、化学的エネルギー、そしてもっとも質の低いものが熱エネルギー。熱力学第二法則は別名「エントロピー増大の法則」とも呼ばれ、エネルギーの質の低下をエントロピー汚染と呼ぶ。

この話でよく盛り上がる。理系文系問わず。

それはこの話に、理系文系を問わないあらゆるセンスが詰まっているからだと思う。そもそも理系離れとは、この話に込められているような文学を感じるセンスを失っているからで、理系のセンスを失っているからではないような気もする。

たとえば、この話を突き詰めると、結末が不安になる。なぜならエネルギーの一部が延々と熱エネルギーに変換されつづけ、エントロピー汚染が続くのがこの宇宙の摂理だとすれば、いずれ迎えるのは死ではないか。実際これを「宇宙の熱的死」と呼ぶ。

しかし一部の物理学者は、膨張論で対抗する。実際にハッブル望遠鏡が捉えている通り、宇宙は膨張し続け、あたらしい天体が生まれ続けている。宇宙全体のエントロピーが増大しても、体積が膨張すれば、エントロピーは低下し、永遠に熱的死を迎えることはない。ここに、文学的な感動を覚える人は多い。

なぜならこの話はまるで我々自身だからだ。私たち一個の個体を見ると、生まれた時に持っていた多様な感覚、センス、感受性、可能性は、年を経るごとに減り続ける。舌の味蕾は実際に減り続けるし、感受性も鈍感になり、インスピレーションは生まれにくくなる。努力しなければ、体の多様性は失われ、エントロピーは増大し続け、その先に待つものは死である。

ところが、宇宙と同じく、やはり待っているのは死ではない。私たち一個の個体では死が待っているように見えるかもしれないが、私たちは宇宙と同じく拡がり続けるからである。子孫が拡がり続け、多様性を維持する努力を続ければ、エネルギーの質の低下は防ぐことができるし、生き残る可能性を維持することができる。








2016/10/02

ブルマ曲線と三角関数

先日、家族と食事中に、突然、ブルマというものはもしかしたら着替えの覗きを防ぐための画期的なアイデアだったのではないか、と思いついた。

さっそく家族に話をすると賛同を得たので、もうすこし考えてみたところ、下のグラフのようなイメージにたどり着いた。



ある問題(女子の着替えの覗き)を解決する「ブルマ」という画期的なアイデアは、覗きの防止以外にも「スカートめくり防止」や「見せパン」といった副次的な価値も見出されることで、ある時から急速に市民権を得る。
その後、当初の目的(覗き防止)はいつしか忘れ去られ、なぜブルマが存在するのかさえ分からなくなるが、優れたアイデアであるだけに、デザインだけは加速的に向上し、過剰な開発によって、しだいに目的とデザインが大幅に乖離し、ついにある段階で突然の崩壊に至る。

その流れを図式化すると上のようになる。

このグラフを眺めていると、これはとんでもない示唆を含んでいるのではないか、と感じた。というのも、この曲線はまさしく三角関数の正接曲線だからだ。




通常、自然界(たとえば電磁波や交流電流)は正弦曲線の繰り返しで構成されている。



ところが、私たちの知的活動の繰り返しは、正接曲線に近い。

三角関数ではこのような正接曲線を、単位円の接線の傾きで定義している。



傾きはマイナスから、プラスの方向へ、永遠に増加し続ける。永遠にだ。

このマイナスから増加し続ける点など、まさに私たちの知的活動そのものだ。

アイデアは、時に下劣で過激な(きわめてマイナスな)レベルから発生し、ある「心地よいレベル(快適な乱雑さ)」を超えても、私たちの制御したい意識を無視して、さらに開発は永遠に続けられる。原子力も好例かもしれない。



この正接曲線的な開発サイクルを、常に心地よいレベルに抑えるにはどうしたらいいのか、と思ったが、それは無理だということもよく分かる。なぜなら、このサイクル無くして、心地よいレベルを通過することはできないのだから。

いや、一つだけ希望がある。それは一見永遠に続くかと思われるプラス側の開発(漸近線)が、実際にはきわめてマイナス側の開発の開始によって停止させられているということだ。つまり、永遠に続くかと思われるプラス側の過剰な開発は、下劣で破壊的なアイデアによって停止できるということだ。アイデアを出し続けよう!

2016/09/17

3人称の愛 Love of the third person

夜、お腹ぺこぺこで仕事から帰るなり、扇風機の前に座り、カレーを食べ始めると、中学生の息子が「英語の人称がよく分からない」と聞いてきた。

なので、「1人称は自分。2人称は語り掛ける相手。3人称がそれ以外。」と答えたが、そこで便意を催した。

息子はまだ納得がいかない様子で、「じゃあ、2人称のYouの横にいる人は?」と聞く。

しかしどうしてもトイレに行く前にカレーを食べてしまいたかったので、二口ほど口に運び、食べながら、「コミュニケーションの相手に入っているかどうかによるよね」と答えた。

説明が中途半場だと思いつつも、便意が強くなってくるので、さらに3口ほど口に運んだところで、ものすごいことに気が付いた。

「いま、自分の中にも2人称と3人称がいる!」

カレーをおいしく食べたい私と、空腹を満たしたい脳(2人称)と、トイレに行かせたい腸(3人称)。

私と脳は、「いまは食べるときだ。トイレはそのあと。トイレに行ったら最後。カレーがまずくなる。」とお互い納得済み。

しかし腸は横やりを入れてくる。

「とにかく、トイレに行け!」

僕と脳は、お互い顔を見合わせながら、確認しあう。

「“彼(腸)”の言い分もわかるけれど、やっぱりカレーは捨てがたい。」

腸はそばにいるにはいるが、コミュニケーションが通じない。だから会話をしている2人称の脳とは、目の前の腸のことを「彼(3人称)」と呼ぶ。

それを駆け足で息子に説明すると「なるほど、よく分かった」と言ってくれた。さすが我が息子だ。無事カレーも食べ終えたので、トイレに駆け込んだ。

便座に座って一息ついたところで、私と脳に相手にされていないのにそれでも律儀にトイレに向かわせようとした彼(腸)が、ふと愛おしくなった。


When I was back to home and started to eat curry, my son asked me about person in English. I explained simply, but suddenly I had an urgency for toilet. Then I also suddenly could find 2 more persons in my body. The second person is my brain who is talking with me. And the third person is my bowel who is trying to take me to toilet. I and Brain talk each other and decided to eat curry before going toilet because of some important reasons. I really wanted to eat curry without any bad feelings. And brain also wanted to full our stomach. Then we decided to ignore bowel. But he continueing to try to take me to toilet. I rushed to explain this to my son and finish to eat curry. Fortunately my son could understand and I could finish to eat and go to toilet. In a toilet, after a task, I found bowel is my close friend, because he is always keeping in touch with us in spite of ignoring.


(写真は本文とは関係ありません)



2016/09/13

愛のなせるわざ

【C6愛のコラム】第三回(最終回)「愛のなせるわざ」

最後は、避けては通れない、ある「許容できない乱雑さ」を少しだけ覗いて、終わります。

愛とは、遠くの問題(許容できない乱雑さ)を把握する意識の強さ、と定義しました。


この意識の飛距離ですが、実は時代とともに、どんどん短くなってしまいます。

その原因は、あまり知られていない「発見と発明の逆転現象」によるものです。

しかし、かつて驚くべき意識の飛距離を見せた一人の天才、キュリー夫人によって、私たちは持続可能な未来に、かろうじてたどり着こうとしています。

そして、残された私たちがすべきこととは、何か。愛の数式から導きます。

そろそろFILTOMが何の会社かわからなくなっているころだと思いますが、もうちょっとだけ、愛が立ち向かう未来に、恐る恐るお付き合いください。

最後にちゃんとスキンケアも出てきます。興味深い気づきと共に。



2016/08/17

アートという先見性

【C6愛のコラム】第二回「アートという先見性」

肌荒れを招く様々な環境の変化と、その対策について考える「C6コラム」。
その第四シリーズの「C6愛のコラム」。

前回は愛の数式を紹介しました。

愛とは、遠くの危機を察知するために高めた意識のエネルギー、と定義しました。
今回は、その意識を最大値まで高めている人たちの話です。
身近な危機だけでなく、人類、地球の危機まで捉え、苦しんでいる人たち。
アーティスト。
彼らの苦しみから生まれる芸術は、深くて難解ですが、未来へのヒントです。